『物語 シンガポールの歴史』感想。経済至上主義×エリート主義の"超合理的国家"
シンガポールは独立以来、驚異的な発展を遂げてきた。その一人当たり名目GDPは55182.48ドルと、日本の38467.76ドルを大きく上回っている(世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング - 世界経済のネタ帳)。
また、一人当たり実質GDPも右肩上がりである。
このように不利な環境下で、何がシンガポールの経済成長の原動力となったのだろうか?
それは、経済成長を国是とした国家主導型の経済政策である。
国家主導+外資依存
シンガポールの国策の特徴を一言で表すとするなら、「プラグマティズム」に尽きる。シンガポールは「シンガポール株式会社」と呼ばれるほどに、経済成長に重きを置いてきた。そのシンガポールの経済政策の特徴は、国家主導+外資依存にある。
シンガポールは他国より一歩も二歩も早く経済発展段階を追い求めていた。近隣アジア諸国が軽工業を行っている時には重工業を。重工業に本腰を入れてきた時には金融業を。そして金融業に手を伸ばした時には既に教育と医療に産業の中心を移しているなど、シンガポールは常に競争国を先んじて産業振興を行ってきた。これが可能だったのも、国家が主導して産業振興をしていたからに他ならない。
こうした国家主導型の経済政策を支えたのは、圧倒的な支持率を誇る国民人民党と、60年以上に渡りシンガポールを指導したリー・クアンユーに他ならない。リーは一党による一貫した政策を行うために、国民人民党が有利となる選挙制度の構築などを行った。
「ワンストップ政府機関」とは、先進国の投資手続きの簡略化のために設けられている経済開発庁のことである。通常、先進国の途上国の投資には、インフラ設備の確認、原材料や部品の輸入、利益の本国送金など、数多くの政府機関による手続きが必要となる。そこをシンガポールでは、経済開発庁が一括で担うようにしている。このように、シンガポールは少しでも海外投資を得ようとあの手この手を尽くしているのである。
シンガポールは19世紀に開拓され、1965年に建国されるなど、非常に歴史が浅い。だからこそ、宗教的・文化的しがらみに囚われることなく経済成長という一つの目標に向かって邁進できた。
極端なまでのエリート主義
資源のない国にとって、一番の財産は「人」である。それはつまり、いかなる教育制度を持つかが国の命運を左右すると言える。その点、シンガポールの教育制度は尖りすぎと言えるほど特異だ。
その主眼は、成績優秀な生徒とできの悪い生徒を選別して能力別のコース分けを行い、優秀な生徒にエリート教育を施して官僚にすることにある。小学校、中学校の卒業時には卒業試験が行われ、その成績によってエリートコースに進むか否かが決定される。
リーのエリート主義が最も顕著に現れているのは、その多産奨励政策にある。1987年、出生率の下落に悩むシンガポールは、「できるなら子どもを三人以上持とう」というスローガンを掲げた。しかし、シンガポールの知的水準の低下を懸念した当時のリー首相は、政策の対象を低学歴女性やマレー人女性を除いた高学歴の華人女性とし、華人大卒女性を対象にした政府主催の集団見合い会を実施したのであった。
シンガポールはこのように極端なまでのエリート主義を貫いている。そのことが国民の高い生産性に貢献していることは間違いない。
シンガポール最大の強みとは?
ここまで経済発展を遂げているシンガポールであるが、その生殺与奪は他国に握られている状況にある。食糧や飲料水などの日用品ではマレーシアやインドネシア、また投資や貿易では日本や欧米先進国なしに、シンガポールの経済は回らないのだ。
(シンガポールと世界の関係構造。p.229)
しかし、他国への依存なしには生きられないことを自覚しているからこそ、シンガポールは腹を括り大胆な政策を行うことが出来た。また、国民も「経済発展こそが最大の国家目標」という価値観を受け入れているからこそ、国民人民党の一党体制が堅持されている。
ここまでくると、シンガポール最大の強みが見えてくる。それは、国家と国民が問題意識を共有していることだろう。国家主導の経済政策も、極端なエリート主義教育制度も、政策目標の軸がぶれていては成り立ち得なかった。
政策の基本は選択と集中。複雑さは必ずしも卓越さを意味しない。
むしろ、シンプルさこそが合理性・効率性の母なのだ。シンガポールの歴史はその原点に我々を立ちかえらせる。