【オススメ】光文社古典新訳文庫電子版半額セールという好機に、絶対に"面白くって""読みやすい"作品を友人へ薦めるつもりで三つだけ紹介してみた
光文社古典新訳文庫が1月7日まで全品半額
本好きにはたまらない朗報が入ってきた。なんと光文社古典新訳文庫が2016年1月7日までの期間限定で電子書籍全品半額セールを行っているらしい。光文社古典新訳文庫のファンだっただけに、このセールはとても嬉しい。"いま、息をしている言葉で、もういちど古典を"というフレーズも大好きだ。
このことをTwitterに書いたところ、複数の友人から質問があった。
「せっかくだから何か読みたいのだけど、オススメある?」
この質問は嬉しいけれど、難しい。
絞りに絞り、考えに考えた本気の三作品
本を人に薦めるのには勇気がいる。薦めた結果、「面白かったよ!」と言ってもらえたら最高にうれしい。だが、相手のことを考えずにヘタなものをオススメしてしまった日には目も当てられない。友人の貴重な時間を奪った挙句、「次からあいつに聞くのはよそう」となってしまうからだ。本は、薦める方も読む方もリスクを背負う。
特に、古典を薦めるのは難しい。馴染みがなくって読みづらい上に、"古典を薦めることのセンスの良さ"のような自意識からの推薦と思われてしまっては手に取ってすらもらえないだろう。
この"読み手のことを本当に考えた古典紹介"というのは案外多くないように思える。よく、「大学教授が新入生に進める~冊」「ビジネスマンに進める教養書~冊」みたいな本があるが、正直どれもしっくりこない。権威のある本を並べただけであったり、"メジャー"なところをただ並べているだけであったりと、本当に読み手のことを考えているのか疑わしいラインナップになっていることが多いのだ。はたして、新入生やビジネスマンが『資本論』の原著を読破すると本気で思っているのだろうか。
もちろん、いわゆる古典の名著と言われるものに難解で長大なものが多いことは承知しているし、だから読むべきではないとは思わない。だが、本を薦める身としては読んでもらわなければその推薦は失敗なのだ。また、読んだ結果「つまらないし、意味わからなかった」と言われても失敗だ。相手の感性や理解力の低さが問題なのではない。独りよがりで自己満的な"オススメ"をしてしまった自分が悪いだけだ。
そこで、これから紹介する三作品は、本当に面白くて読みやすいものだけに絞った。見栄や自己満足を一切入れていない。また、本当に読んでもらいたいと思っているため紹介は三作品だけにしている。
"本は好きだけど最近あまり読めてない、20~30代の友人"に読んでもらうとしたら何を薦めるかという視点で選んだ。以下に、本気で選んだ三冊を紹介する。
1.『すばらしい新世界』―もしも"理想の世界"が実現したら?
四の五の言わずに読んでほしい。この本にはSFの面白さが凝縮されている。
SFの面白さとは、仮想実験の面白さにある。空想が現実化したらどうなるか、そのシミュレーションをするのがSFなのだ。いわばドラえもんのもしもボックスである。
具体的な例を挙げる。
●「もしも本のない世界だったら、人々の価値観はどうなっているだろう?」⇒すべての本が焼き払われる世界『華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)』
●「もしも人生が何回もやり直しできたら、生きる意味って何になるんだろう?」⇒43歳になる度に人生が巻き戻る『リプレイ (新潮文庫)』
●「もしも手術で大天才になったら、それでも『自分は自分である』と言える?」⇒障害を持つチャーリイが手術で天才になる『アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)』
SFは哲学であると常々思う。抽象的な思弁を具体的な現実に落とし込んだ時、はたしてどんな世界が広がっているのか。SFはそんな思考実験をさせてくれる。
さて、それではこの『すばらしい新世界』はどのような実験を行うのか。それは、「もしも功利主義的に理想の世界が実現したら、それって本当に"理想"の世界?」というものだ。
功利主義とは、行為や制度をそれがもたらす効用によって評価する思想のことである。この思想の特徴は、"絶対的に正しい行為や制度"があるのではなく、人の得る"効用(≒快)"がその望ましさを決めるとしている点である。つまり、絶対的な"正しさ"なんて存在しない以上、"人が実際にどう感じるか"によって判断するしかないというスタンスであると言える。この思想は相対主義を前提とした社会と非常に相性が良く、そのため現代社会は功利主義がとても色濃くなっている。
さて、『すばらしい新世界』の世界では、人びとは「快」の感覚に包まれている。人はみな培養瓶から生まれ、生き方が自動的に決定される。誰も隠し事や嫉妬などない。しんどくなった時は"ソーマ"という薬で好きなだけ気持ちよくなればいい。極めつけは、そうした生き方になにも葛藤を持たないように"条件付け(教育)"されている。
現代に根強く広まっている功利主義の考え方からすれば、この世界はまごうことなき"すばらしい新世界"である。しかし、なんだかグロテスクだ。
この新世界に、我々と似たような世界に住んでいたジョンが訪れる。ジョンは未開の世界から来た"野蛮人"として新世界を覗き、激しく動揺する。そして、新世界の役人と議論をするのだが、徹底的に論破される。新世界は論理的に完璧な世界なのだ。
それでもジョンは食い下がる。人間ってそんなもんじゃないだろう、と。
「快適さなんて欲しくない。欲しいのは神です。詩です。本物の危険です。自由です。美徳です。そして罪悪です」
「要するにきみは」とムスタファ・モンドは言った。「不幸になる権利を要求しているわけだ」
「ああ、それでけっこう」ジョンは挑むように言った。「僕は不幸になる権利を要求しているんです」
(『すばらしい新世界』p.340)
このシーンはSF小説史上屈指の名シーンである。 そして、これだけテンポよく、美しく訳した光文社古典新訳文庫(訳:黒原敏行)もまたすばらしい。
この本は優れたエンターテインメント小説でありながら、現代社会の行く末について考えさせる大傑作である。良い本には世界の見方を変える力があると言うが、この本はまさにその好例。『すばらしい新世界』を読めば、"理想の世界"というものを一段深く考えられるようになる。
(より詳細なレビューはベンサム先生、これが理想ですか?『すばらしい新世界』 - 本についての備忘録にて)
2.『ちいさな王子』―大人こそ胸を打たれる『星の王子さま』
『ちいさな王子』と言うと馴染みがないかもしれないが、『星の王子さま』の新訳である。この『ちいさな王子』という言葉に込めた想いについては下の記事で訳者が熱く語っている。
同著は資本論の次に多く翻訳された作品だと言われ、現在も映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』が大ヒットしているように、世界中で愛されている作品である。
しかし、そのタイトルや可愛らしい挿絵から、子ども向けだと思われているかもしれない。もしそうなら、とてももったいない。この作品は大人にこそ刺さる。
特に面白いのが、王子とバラとの関係である。王子は美しい一輪のバラと仲がよく、水をやったり話をしたりしていた。しかし、このバラは難しい性格をしており、わざとトゲのある言い方をしたり、意地を張って思ってもないことを言う。そうしているうちに王子はバラの言葉をいちいち疑うようになり、愛情が薄れてしまう。これなどまさに、男女関係そのものとして読める。
そして、そのことを振り返って言う王子の言葉が胸を刺す。(なお、光文社訳の王子は新潮訳に比べて子どもっぽく、語りかける口調になっている。)
「あのころ、ぼく、なんにもわかっていなかったんだなあ! お花が何をしてくれたかで判断するべきで、何をいったかなんてどうでもよかったのに。お花はいい香りでつつんでくれたし、明るくしてくれた。ぼく、逃げ出したりしちゃいけなかったんだよ! いろいろずるいことはいってくるけど、でも根はやさしいんだとわかってあげなくちゃならなかった。お花のいうことって、ほんとうにちぐはぐなんだもの! でもぼくはまだちいさすぎて、どうやってお花を愛したらいいかわからなかったんだ」(『ちいさな王子』p.49)
この台詞などは若すぎる男女のすれ違いを見ているようだ。きまぐれでうそつきなバラの言葉に王子は翻弄された。ただ、彼はやがて気づいた。彼女が何を言ったかよりも、一緒にいた時間を信じればよかったのだと。
一緒にいた時間が王子にとってバラをかけがえのないものにした。その強い愛情は、他のバラたちに向かって語りかける言葉の中にはっきり現れている。
「きみたちのためには死ねない。そりゃ、通りすがりの人にとっては、ぼくのバラもきみたちと区別がつかないだろうね。でも、きみたちみんなを集めたより、あのバラの方が大事なんだよ」(『小さな王子』p.112)
「きみたちのためには死ねない」の裏返しは、「彼女のためなら死ねる」。あのバラが、あのバラだけが大事なんだ。そう言ってのける王子の姿に胸を打たれる。
そして、さらにこの後、「人間が忘れてしまった大事なこと」についての印象的な問答が行われる。ぜひ、実際に読んでみてほしい。
3.『罪と罰』―世界最高の小説。
一番薦めたくて、薦めづらい本。おそらく名前を耳にしたことがない人はいないだろうが、実際に読んだことがある人は1%にも満たないのではないだろうか。
その原因は、「なんだかわからないけど暗くて重くて長くて難しそう」という印象のせいだと思われる。まず登場人物の名前からしてややこしい。ラスコーリニコフ、ラズミーヒン、ポルフィーリイ、スヴィドリガイロフ……。ロシア人の名前が耳慣れない日本人にとっては登場人物の名前を覚えるだけで一苦労だろう。昔の『こち亀』でも長くて難解な小説の代名詞としてよくネタにされていた。
だが、その世界に入り込んでしまえばこれほど面白く、深い作品はない。天才は凡人を踏みにじっても良いというナポレオン主義、人を殺すという"体験"の意味、宗教による救済など、思索の切り口は無数に存在している。エンターテインメント小説として読むことも可能ながら、懐が果てしなく広い。
早い内に白旗を挙げる。『罪と罰』の魅力を簡潔に説明することなど不可能である。
ただ、読めば分かる。そのため、ここではその世界への入り方を紹介する。
「絶対に読んでもらいたい」という意図でこの記事を書いている手前、そもそも読み始めてもらえなければ意味がない。そのため、邪道の誹りを受けることを覚悟である方法をおすすめする。
それは、漫画から入るというものである。
『罪と罰]に関しては、素晴らしい漫画が存在している。それは、落合尚之による『罪と罰 A Falsified Romance』(全10巻)である。実は、同じドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』ではなくこちらを紹介した理由の一つにこの漫画の存在がある。この漫画は、『罪と罰』の舞台を現代日本に置き換えるという大胆なアレンジをしながら、原作の持つ魅力を強く惹きだすことに成功している奇跡的な作品である。
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原作の『罪と罰』では、主人公で貧乏書生のラスコーリニコフが金貸しの老婆を殺す計画を立てるところから物語は始まる。彼は「非凡人は凡人の法律や道徳を踏み越えていい」という思想の持ち主で、その思想から老婆殺しを正当化する。
ラスコーリニコフは欲深い老婆を生きる価値がない人間として殺害に至るが、たまたまそこに居合わせたリザヴェータまで殺してしまう。彼女は老婆にこき使われているただのお人よしな人間で、殺されるべき理由はなかった。そのことがラスコーリニコフを葛藤させることになる。そして、自己を肥大化させ自分勝手な空想に浸るラスコーリニコフは、身を売りながらも魂の高潔さと献身を保つソーニャと出会ったことで自分の"罪"と対峙することになる。これが序盤の簡単なあらすじである。
一方、落合版『罪と罰』はこれをどうアレンジしたか。ラスコーリニコフは小説家志望の大学生"ミロク"。金貸しの老婆は地元一帯の売春組織の元締めを行う女子高生、"ヒカル"。リザヴェータはヒカルの同級生で、売春組織で援助交際を強いられ酷使されている"リサ"。そしてソーニャは……(ネタバレを含むため伏せる)。と、このように驚くほど大胆にアレンジされている。
落合版『罪と罰』では、漫画という特性を活かしてとてつもない緊迫感を漂わせている。特に、ミロクがヒカルの殺害を実行しようとする場面は息をするのも忘れるほどだ。濃厚な原作を全10巻に収めながらも、原作の魅力を損なうことなく、一気に読ませる力のある作品となっている。
何度も言うが(何度でも言うが)、落合版『罪と罰』は原作の古典が持つ魅力を十分に発揮しながら、非常に高いレベルでまとまっているエンターテイメント作品となっている。そのため、いきなり原作から入ることに抵抗がある人は、まずこの漫画から入り、そして原作を読むことを強くオススメする。
これは映像化作品を観た人がその作品のファンになり、原作に手を出すのと同じである。ネタバレになるじゃないかと言う人もいるだろうが、その程度のことで揺るがないほどの力を原作は持っている。原作には漫画版では表現しきれないテーマや議論がさまざま存在している。そのため、漫画版と原作の違いを確認するという気持ちで読んでもいいだろう。そして、読み切る頃にはこの作品に病み付きになっているに違いない。
『罪と罰』には江川訳(岩波)、工藤訳(新潮)、米川訳(角川。現在は希少)、そして亀山訳(光文社)とさまざまな訳がある。訳者によって特徴があり、それぞれの訳にファンがいるためどれがベストか決めることは難しいが、亀山訳の場合は現代調にしていて読みやすいという特徴がある。そのため、一度読み終わったらまた別の訳と読み比べてみるというのも面白いだろう。
なお、『罪と罰』にハマったら岩波版の著者である江川卓による『謎解き『罪と罰』』を強くオススメする。この作品は原著であるロシア語の単語を分析し、ドストエフスキーが『罪と罰』に隠していた意図や企みを解明している。『罪と罰』ファン必読の書。
長くなったが、ここまで『すばらしい新世界』『ちいさな王子』『罪と罰』の三作品を紹介した。これらはどれも、"挫折しなくって""面白い"本だと断言できる。
古典を読むとは、一生モノの資産を持つこと
古典を読むことは一生モノの資産を持つことと同じである。古典は年月を経ても風化しない普遍的な価値を持つ。それは、書かれた時代とは時を隔てていても、"今"の時代に対して優れた洞察を与えてくれるということである。「理想の社会とは?」「人を愛するとは?」「人を殺すことの罪とは?」。こうしたテーマに対して、一生使える補助線になるし、また有力な引用元となる。俗な言い方をするなら、そんな資産が数百円で手に入るのだから、これほど"コスパ"のよいものはない。
それぞれの作品の解釈や読み方にはかなり私見が入っているが、このようにさまざまな切り口から読めるのも古典の魅力だろう。ぜひ実際に読んでみて、古典の魅力の一端に触れて欲しい。